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第3節 初の海外拠点、松村精型(大連)有限公司の建設
松村精型(大連)有限公司の設立と工場の建設
2004年(平成16)11月23日には2期生も含めて日本での研修を終え、大連松村設計が動き始めた。クライアントは、運良く2001年に天津に設立されたアイシン高丘の中国拠点「高丘六和(天津)機械工業有限公司」。高丘六和(天津)からは、メンテナンスの要望も寄せられ、順調な船出だった。しかしここで中国ならではの誤算が生じた。地元の会社に造らせた製品の品質が思っていた以上に悪かったのである。しかし、本社に送っていては納期に間に合わない。品質保証しようにも3次元測定機もない。このため、小さい模範工場を造って3次元測定機を入れようと、急遽土地さがしを始めた。しかし、簡単には見つからず、投資費用も少なくはないことも判明。董事会は討議を重ねた結果、同じ投資をするならと04年12月15日、大連における本格的な金型製造工場の建設を決めた。
05年9月1日、当社は、大連松村設計を生産子会社「松村精型(大連)有限公司〔Dalian Matsumura Mold & Pattern(DMM)〕」に定款を変更して移行。大連市内の経済技術開発区金型団地に8000m²の土地を取得し、06年の稼働予定で工事に入った。変更後の定款は、「鋳造用金型の設計、製造及び販売。またそれに付随するすべての業務と事業」とした。総投資額は2億5000万円。12月には、鉄骨平屋建て約1700m²の工場棟に、鉄骨2階建ての管理棟(延べ床面積約850m²)、鉄筋コンクリート3階建ての従業員宿舎(延べ床面積約1000m²)が竣工した。
左:竣工した松村精型(大連)有限公司
右:従業員宿舎
左:役員会議室
右:事務室
工場内
ワイヤーカット放電加工機
大連進出は、ここを足場にグローバル化を進めることができると考えたからであるが、偶然にも当社の進出直後からトヨタ自動車の中国展開、それもエンジン部門の進出が加速した。同社は、04年2月に広州汽車集団有限公司(以下、広汽集団)とエンジン生産会社広汽豊田発動機有限公司を設立すると、3月には第一汽車集団(以下、一汽集団)と中国初の大物プレス金型生産会社豊田一汽(天津)模具有限公司、エンジン生産会社一汽トヨタ(長春)エンジン有限公司を設立。05年初頭には同工場でV6エンジンの生産を、同年秋には広汽豊田発動機がL4エンジンの生産を開始した。
大連は、トヨタ自動車が合弁会社を設立した長春工場と天津工場の中間に位置し、水路・陸路・空路の立体的な交通ネットワークが完備している。建設が許される大連開発区は、多機能、輸出志向型、国際化に基づいて建設されたインフラを有し、電力の供給も十分である。また、旧満州地域であり、反日感情が少なく、日系企業も多く、日本企業に対するマインドが良い。加えて、大連には300余りの科学研究機関と18の公立大学、短大があり、質の良い労働力の確保にも恵まれている。なにより、大連市が金型企業の立地に優遇政策を採っていた。これは、魏ウエイ富海大連市長(当時)が03年に金型産業を中国産業発展の要と位置づけて金型産業振興のための施策を各種講じ、大連経済技術開発区に四つの金型団地を造ったもので、土地使用権譲渡価格の優遇や賃貸料金・税金の減免などの優遇政策も整備されていた。魏富海市長は、06年2月22日に大連金型工業団地を視察した際、工事中の松村精型(大連)にも訪れ、当社進出に対する期待の大きさを感じさせた。
トヨタ自動車・本田技研の中国における生産工場展開
07年7月現在、松村精型(大連)は、設計が11人、製造12人、総数25人で本社と同じように、見える化による標準化、品質管理を推し進め、本社と高丘六和(天津)から金型を受注している。製品に対する地元の評価も高く、天津一汽豊田汽車、長春一汽豊田汽車から金型の製作を受注するまでになっている。
松村精型(大連)有限公司製造品目
1鋳造用金型
1.工業用鋳造模型
2.シェルモールド金型
3.低圧鋳造用金型
4.重力鋳造用金型
5.ダイカスト金型
2金型に関わるコンピュータシステムの製造・販売
3鋳造に関わるすべての資材の製造、販売
4鋳造に関わるすべての技術コンサルタント