日本語 / English / 中国语

ホーム > 60年の歴史(目次) > 第5章「第1節 設計から試作鋳造までの一貫体制の構築」大宇自動車のV6エンジン開発プロジェクト

60年の歴史 第5章

第1節 設計から試作鋳造までの一貫体制の構築

大宇自動車のV6エンジン開発プロジェクト

1998年(平成10)8月から当社は、大阪技研(大阪府松原市)とともに韓国大宇自動車とのV6エンジン3種の開発に入った。

三菱GDIエンジン開発の成功で、この技術をなんとか売りたいと考えた大阪技研の畔柳社長が韓国の大宇自動車と交渉を始めたのである。大阪技研は、不活性雰囲気低圧鋳造(INERTLP)では世界的に有名で、アルミニウム鋳造技術の開発経験を生かし各種鋳造エンジニアリング業務を展開。社員は20人ぐらいの小さな会社だが、韓国ウルサンに出張所も持っていた。

一方、80年代後半から急成長した韓国の自動車産業は、完成車メーカーを中心に発展してきたこと、特定完成車メーカー中心の排他的専属構造のサプライヤーシステムであったことなどから、国内における部品産業の成長がおくれ、輸入部品に依存していた。激しくなる国際競争と環境・安全関連技術の研究開発負担の加重のなかで、完成車メーカーは、技術開発力に基づく部品メーカーとの分業関係の深化が重要になっており、大宇自動車もそれが可能な部品メーカーをさがしていた。加えて、韓国では、95年から国内市場の成熟などに伴って成長が鈍化、97年には韓国2位の双龍自動車の経営が破綻し、現代自動車(現代精工)、起亜自動車(亜細亜)、大宇自動車(大宇重工業)、三星(三星重工業)などの4大グループが熾烈な競争を展開していた。大宇自動車にとって鋳造設計から解析、型設計、型製作、試作までを一貫して行う当社の開発プロジェクトへの参加は願ってもないことであり、当社にとっても資産規模で韓国第2位の財閥大宇グループとの取引開始は海外展開のきっかけとなる。こうして当社は、大宇自動車のV6エンジンをはじめ4機種のエンジン開発プロジェクトの一端を担うことになった。

98年8月から入った開発はしかし、99年7月、大宇グループの短期債務返済のための資金繰りがショート。開発は中止のやむなきに至った。

大宇グループ

 

韓国4大財閥の一つで、金宇中氏が30代で興した繊維会社をもとに、重工業 ・自動車・証券・建設・家電・造船・商社などさまざまな業種によって構成されており、グループ全体の年商は1995年で約480億米ドルにのぼった。積極的にグローバル化 を進め、20世紀の終わりまでに年間200万台の自動車生産計画をたてているが、うち韓国で100万台、残り100万台を日本企業のあまり進出していない東欧(ポーランド)や中央アジア(ウズベキスタン)で生産する予定であった。しかし、97年末の通貨危機で資金流動の危機に陥り、グループは取引銀行などの主導で解体され、2000年に大宇自動車は破綻、02年10月にGMに売却された。

お気軽にお問い合わせください。

お電話でのお問い合わせ  076-625-1715  受付時間 月〜金9:00〜17:30  メールでのお問い合わせメールでのお問い合わせはこちら