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60年の歴史 第5章

第1節 設計から試作鋳造までの一貫体制の構築

幸作会長の逝去

1998年(平成10)4月23日、かねてから療養中で、6月の鋳造工場竣工を楽しみにしていた幸作会長が、逝去した。享年74。胃ガンだった。

高岡市民功労賞受賞

高岡市民功労賞受賞

高岡市技能功労者表彰

高岡市技能功労者表彰

「世の中の景気が悪くても、同業他社が悪くても、うちは忙しくなければならない。それが経営だ」が持論。「創業時代は女房を朝の3時、4時まで働かせ、夜も昼もなく働いた」幸作だったが、会長に退いてからは経営にいっさい口を出さず、菩提寺稱念寺の門徒総代や戦友会の幹事などの世話役としての活動に徹していた。高岡市大町の古刹稱念寺の塚原順元住職は、「幸作さんには93年から門徒総代を務めていただきました。私とは67年に『稱念寺青壮年会』を募ったときからのおつきあいです。総代として、明治時代に移築して老朽化が進んでいた庫裏を建て替える際には大きな力になっていただきました。また、ご長男の専務の供養にと、85年に伝道掲示板を寄贈いただきました。お忙しかったと思いますが、仏事には必ず家にいて、私を迎えていただきました。思ったことや疑問についてははっきりと意見を言われますが、精神的な面を大切にされた人でした」と、その死を惜しんだ。

亡くなる直前の4月1日には、新入社員に宛てて次のようなメッセージを届けていた。

新入社員の皆さん入社おめでとうございます。

会社役職員を代表して心から祝福と歓迎の意を表したいと思います。

皆さんは本日、ただいまから正式に我が社の一員です。と同時に株式会社松村精型の名刺が社会的には皆さんの表札となり、皆さんは会社の顔となるわけであります。

さて、我々日本人は集団への帰属意識が他国民に比べて大変強いと言われております。その勤勉度から「エコノミックアニマル」と呼ばれ、「働きバチ」とも批判されました。しかしこのことは日本人に対する正当な評価とは言えません。確かに国際的には「経済大国」と呼ばれ、「長寿国」と言われ、私たちの周囲には豊かな「物」があふれています。資源のない日本がこのようになり得たのはどうしてでしょうか。それは日本人の勤勉さと頭脳なのであります。

勤勉は悪徳でなく今なお勤勉は美徳であります。21世紀の担い手は今日の皆さんのような若い力であり、若い力の持つ創造力です。

我が社は、諸君に、諸君の若い力とその創造力に期待します。失敗を恐れず思い切ってそれぞれの打席に入ってください。三振を恐れず、思い切って振り切ってください。

どうか従来からいる社員の皆さんも若い諸君の力を発揮できるように公私ともにリードしてやってください。

「勤勉は美徳」、「期待するのは若い力と若い力の持つ創造力」そして「失敗を恐れない行動力」。これが幸作会長の遺訓となった。「勤勉は美徳」は、仕事に関しては頑固一徹、率先して24時間でも働きかねない会長自らの姿。そして、「期待するのは若い力と若い力の持つ創造力」「失敗を恐れない行動力」は、業界に先取してコンピュータ化を推進、夢に賭けた浩史社長はじめ当社の若い力に全幅の信頼をおいた会長の言葉だったのではないだろうか。

葬儀は4月26日。幸作会長の友人で、経営者としても胸襟を開いて語り合った大木隆大木樹脂工業代表取締役が葬儀委員長となって社葬で執り行った。コマツキャステックス、杉山工業などの取引先をはじめ、木型協同組合、金型協同組合などの業界、友人など数百人が別れを惜しんだ。

松村幸作会長の社葬

幸作会長の社葬

松村幸作公職ほか

1975年4月〜89年3月 富山県木型工業協同組合理事長 
1978年7月〜79年6月 高岡志貴野ライオンズクラブ会長
  高岡志貴野ライオンズクラブ会報
  「The Lion志貴野」創刊
1982年4月 高岡市技能功労者表彰
1985年5月 高岡市民功労賞を受賞
1989年3月 歩兵35聨隊戦友会幹事
1993年〜98年 稱念寺門徒総代

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