1986年(昭和61)11月25日、役員会は、業務の拡大と1月に迎えた創業40周年を機に有限会社の組織を変更し、商号を株式会社松村精型とすることを決議し、取締役に松村幸作、松村浩史、冨田弘、松村幸子、寺島吉郎、監査役に大木隆を選任。その後の取締役会で代表取締役に松村幸作、専務取締役に松村浩史が就任した。商号変更は、富山地方裁判所高岡支部の決定を待って87年1月20日付で行った。
同時に、CAD/CAMの導入とその本格稼働に伴って導入したマシニングセンターなど一連の大型設備投入で手狭になったことと、よりフレキシブルなシステム化対応、亡き泰伸専務が力を傾注した鋳造金型に対する第二の柱であるプラスチック射出成形分野など新素材分野への進出を視野に、高岡市長慶寺805番地(現在地)に本社工場を新築し、移転した。工場竣工は87年12月12日。
新本社工場は、鉄骨造亜鉛メッキ鋼板葺き陸屋根2階建てで、1階部分の面積は1577.12m²、2階が460.52m²。FA化や従業員の安全衛生、福利厚生に重点をおいた近代的な設計で、設計・監理は株式会社創建築事務所、工事は石黒建設株式会社が施工した。竣工式典に際して日刊工業新聞に掲載した告知広告(1988年1月14日付)に、「当社は近年、コンピュータ(CAD/CAM)導入を図るなど驚異的な発展要素を加える一方、“技能&技術”の精華とも言うべき企業資産(物的・人的・発展的要素)をより高度なものにするため新工場を建設、その内容にもさまざまな変化に対応できるよう大きな“夢”を盛り込みました」としたように、次のような工夫を凝らした。
①金型工場の屋根中央にトップライトを設け、作業の疲れを癒す天窓として、また有効な照明施設としての機能を備えた。
②工場のフロアには約3メートル間隔に「ピット」を配置して移動作業台のエアー・電気が自由に使えるよう工夫。
③クレーンのレールを廃止し、無軌道型クレーンを採用することによって騒音を防ぎ安全性の高い環境を保っている。
④外壁はきわめて高い断熱効果を発揮する素材を用い、加えてパッケージ型エアコンによる空調が、従来のスポット冷暖房による動線阻害を解消し、作業の安全と効率化を高めた。
⑤木型工場と木工機械室を隔壁で区分し、木型機械室には集塵機を設けて、高精度でクリーンな環境を整備した。
14日に行った竣工式で幸作社長は、次のようにあいさつした。
(前略)前の工場は1976年(昭和51)に造ったものでございます。当時は結構広いなと感じておりましたが、いつの間にか狭くなりまして、4、5年先よりこの地に計画しておったわけでございます。この度こうして工場を新築いたし落成の喜びを迎えることができましたのもひとえにご来席の皆様方の賜であることはいうまでもございません。深くお礼申し上げます。
弊社も創業42年を迎えております。専務が打ち出しております「3カ年計画」を柱にいたしまして「洗練と先進」を合い言葉に従業員ともども一丸となって社業発展のためよりいっそうの精進を重ねる所存でございます。
また、皆様方のご叱責・激励を承りながらいっそう努力を重ね、「型づくり日本一」をめざしてさらに前進したいと考えております(後略)
このころから幸作社長は、次世代における「型づくり日本一」をめざす目標を持って来るべきトップマネジメント交代に備え、浩史専務の経営者育成に入っていった。