新工場のCAD/CAM室
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第1節 業界に先駆けたコンピュータ化
業界2番目のCAD/CAM導入
新工場のCAD/CAM室
1984年(昭和59)、小松製作所にCAD/CAM(Computer AidedDesigning,Computer Aided Manufacturing:コンピュータ支援による設計・製造)推進プロジェクト委員会が設置され、当社の松村浩史課長(当時)が委員として参加した。
わが国の製造現場にコンピュータが導入され、設計・製造の効率化を本格的に図り始めたのは、およそ70年代の後半。同時にマイクロエレクトロニクス技術が通信技術と結びついて情報ネットワークの形成を促進し、工場の自動化、効率的な多品種少量生産体制の実現などが、幅広い産業分野でみられた。80年代に入ると、納期の短縮、高品質の確保、低コストの実現に不可欠なCAD/CAMシステムが脚光を浴びた。小松製作所では、自社の生産現場の合理化、省力化のため、NC工作機械はじめ、産業用ロボット、自動搬送装置、自動溶接機などを生産工程ラインに導入しており、委員会設置もCAD/CAMシステムの導入に向けたものであった。
アメリカ・カナダ視察(A・GAnderson社)
技術の蓄積によって、高精度の金型製造を確立してきた幸作社長にとってコンピュータ化への不安は大きいものがあったと考えられる。NC化や自動化が進む製造現場にあって鋳造金型は3次元要素が多いところからシステム化は困難とされ、プレス型やプラスチック型に比べて後塵を拝していた。社内でも「コンピュータで金型が、しかも鋳物用金型が造れるわけがない」という反発の方が多かった。自動車用鋳物用金型製造の株式会社米谷製作所(新潟県柏崎市)が業界のトップを切ってCAD/CAMシステムを導入していたがその効果も未知数だった。その時点で導入はデータの一元管理や短納期を可能にすることが予想されるだけだった。しかし、最大の受注先である小松製作所が導入する。幸作社長は、「小松製作所が入れるというのならうちも入れざるを得ない。それなら、少しでも早く新時代の革新技術を先取りしよう」と、CAD/CAMシステム導入を決断したのである。
これを受けて浩史課長が、85年6月29日から7月5日にかけてアメリカ・カナダのCAD/CAMメーカーのコンピュータ・ビジョン社とそのユーザー金型企業などを視察し、工場設備のFA化推進とその将来性を確信した。しかし、導入のための総投資費用は1億5000万円にものぼると考えられた。このときの幸作社長の決断に対し浩史社長(現在)は現在も「売上高が4億、5億円の時代で、単純に計算しても初期投資は1億円をくだらない。正直、当時は私も導入は難しいと思った。資産的にもあわない。しかし先代社長は『コマツが入れるならそれに先んじて入れよう』と判断。これが先代社長のすごいところだと思いますね。当時は木型が順調で利益も高かったから、木型で出た利益をそうした先進の設備に投資してまた利益を上げていこうという判断だったのでしょうが、経営者として、洗練された技能を磨きながら常に先進の技術を取り入れ、投資していく姿勢。その先見性と先進の精神の高さは私も見習わなくてはならないこと」と、高く評価している。
導入は同年8月。コンピュータビジョン社製CAD/CAMが端末2台とともに設置された。米谷製作所に次いで業界2番目、設備だけでも7500万円だった。導入を果たした85年度(第20期)の売り上げは約4億530万円。企業規模からみると思い切った投資だった。導入にあたっては新たにCAD/CAM課を設置し、課長には松村浩史が就任した。
CAD/CAM導入はこれまで手書きだった設計図がコンピュータ化されるだけでなく、木型がなければ金型が造れない時代から、木型がなくても加工できる時代へ、そして、職人の時代から設備の時代への移行を決定づけるものだった。
CAD/CAM
コンピュータを利用した設計と製図のためのシステムの一般名称をCADと呼び、製造過程を支援するコンピュータシステムをCAMと呼ぶ。
CAMは1950年初頭、アメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)でフライス盤を人手に代わってテープに入力された数値どおりに加工できる数値制御(NC:NumericalControl)が開発され、同じく同大で開発されたAPT(Automatically Programmed Tool)と呼ばれる言語によってデータ入力が簡単になり、普及した。
一方CADは60年代前半、ディスプレーで対話しながら2次元図面を描き、蓄積し、編集し部分的に再利用しようとした図形処理システムのスケッチパッド(SKETCHPAD)が同大で開発され、70年代に実用化された。