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第2節 自動車産業へのシフト
社名を有限会社松村精型に改称
1983年第21回技能五輪全国大会に県代表として出場
1983年(昭和58)、イギリスで日本製油圧ショベルのシェアが急上昇したことに端を発したダンピング問題が発生、翌年には欧州全域に派生した。いわゆる貿易摩擦である。日本の産業機械や自動車は、二度のオイルショックによる不況をバネに、省エネ、高品質の製品で海外市場を拡大したが、その輸出先が主に欧米先進国に偏っていたことから、これらの国々との摩擦を生んだのである。この結果、神戸製鋼所に対する32%を最高に、小松製作所などの日本製油圧ショベルにダンピング関税が課されることになり、その後もミニ油圧ショベルやホイールローダーなどにまでアンチダンピングの対象が広がり、83年以降建機の輸出は一転して伸び悩んだ。
貿易摩擦は自動車も同様で、81年に日本政府が対米自動車輸出の自主規制措置を打ち出し、輸出の拡大は困難になった。しかし自動車の場合は、86年までは対米自主規制枠の拡大や規制外の商用車輸出の増加によって輸出は増加。さらに、国内市場は緩やかではあるものの安定的な成長軌道に乗って拡大する傾向にあった。こうした状況を見極めて当社は、自動車産業へのシフトを強める一方、金型の精度向上に努めた。その結果、新和工業からの本格的な受注によって受注品目が拡大。これに伴って本格的に金型製造業としての業態を整え、その姿勢を社内外に示すため、83年4月1日付をもって社名を有限会社松村機型製作所から有限会社松村精型に改称した。「精型」の「精」は、「精通(詳しいこと。きわめて熟練すること)」、「精鋭(優れたもの)」、「精進(つとめ、励むこと)」に通じ、「精密な形の創造」ひいては高精度の金型製作を標榜したものである。この社名変更は、当社の木型から金型への転換を決定づけるものとなった。