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60年の歴史 第3章

第2節 自動車産業へのシフト

ベクトルを自動車産業へ〜新和工業との取引〜

金型の機械も揃った工場内

当社が新和工業との取引にこぎ着けたのは1977年(昭和52)だったが、本格的な取引が開始するまでには4年もの時間を必要とした。

新和工業は、トヨタ自動車向けの鋳物製品を生産している高丘工業株式会社(現、アイシン高丘(株)・愛知県豊田市)が入善町に建設した鋳造子会社で、77年当時はアイシン精機株式会社を核とし、「品質至上」を基本理念とするアイシングループに加入したばかりだった。78年には鋳物企業に根強く残っている「勘と経験」に頼る体質の改善を図ってTQCを導入して品質の高度化、コスト低減を推し進めていた。

オイルショック後、アメリカやヨーロッパでは、日本車が燃費節約型のエコノミックカーとして飛ぶように売れ始め、70年に32万台だった対米輸出は、75年に71万台、80年には182万台と急激に伸びた。欧州向けもしかり。この影響で79年ごろから自動車メーカーは一斉に設備の先行手当を開始し、自動車エンジンなどの工作機械の専用機を造る株式会社トヤマキカイ(現、(株)日平トヤマ)などでは3年先までの製造を受注したと言われた。この過程で新和工業も、従来愛知県から購入していた金型を県内で調達することによって短納期、ひいては生産効率の向上を図ろうとした。こうした経緯などもあって、当社はようやく同社の金型協力工場として認知され、本格的な取引が始まった。自動車産業の精度要求は厳しいが、当社も当時鋳造ではわが国のトップレベルにあった小松製作所氷見工場のそれにたえられるだけの水準にあった。

81年6月30日、取引基本契約書を締結し、新和工業との本格的な取引が始まった。右は当時新和工業に提出した取引先調査票だが、当時の当社の概要を知ることができる。この時点で当社の売り上げに占めるシェアは小松製作所が73%、新和工業が25%だったが、81年度の総売上高は対前年比117%と伸びて2億2937万円、76年に1億円を達成してからわずか5年で2億円を超えた。

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