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60年の歴史 第3章

第1節 経営基盤の確立と経営の近代化

業界、地域への貢献

〜富山県木型工業協同組合の設立〜

幸作社長は、1975(昭和50)年4月に富山県木型工業協同組合理事長に、78年7月1日には高岡志貴野ライオンズクラブ会長に就任するなど、しだいに業界および地域社会に対する貢献も求められるようになっていた。

富山県木型工業協同組合は、1964年に結成。組合員の取り扱う木材および副資材の共同購入、木型・金型の共同受注、事業資金の貸し付けおよびその借り入れなどが目的で、最盛期には54社が加盟していた。事業協同組合は、「中小企業者が互いに協力し、助け合う精神(相互扶助の精神)に基づいて共同で事業を行い、経営の近代化・合理化と経済的地位の改善向上を図るための組合」で、組合を設立することにより、取引条件の改善、販売促進、資金調達の円滑化、情報・技術・人材・マーケティング等の経営ノウハウの充実、生産性の向上等を図り、経営の近代化・合理化を実現することができるようになる。また、業界のルールの確立、秩序の維持ができ、メンバー企業の経営の安定と業界全体の改善発達を図ることができる。一般に協同組合は、「中小企業の経済的社会的存立基盤の変化に対処し、中小企業構造の高度化を促進するために必要な指導、資金の貸付け等の事業を総合的に実施するとともに、中小企業の経営管理の合理化及び技術の向上を図るために必要な研修、指導等の事業をあわせて行なうことにより、中小企業の振興に寄与することを目的」に67年7月に施行された中小企業振興事業団法による助成を受けて設立されたものが多い。高岡での嚆矢は高岡銅器アルミ鋳物共同工場と言われているが、富山県木型工業協同組合はそれに3年も先行したもので、発起人は、当時富山の木型御三家と呼ばれた上田庄一氏(現、(株)ウエダ)、山口利秋氏(山口木型)と当社の松村幸作である。庄一氏の息子で、富山県木型工業協同組合理事長、中部地区木型工業協議会、日本木型工業組合理事などを歴任した上田惇氏は、当時の状況を次のように語る。

高岡は昔から銅器や鋳物の盛んな町だったから木型屋も多かったが、一人や二人でやっている人がほとんどでした。しかし、組合をつくった当時は日本が高度成長期にあり、工業用木型などを発注する会社の規模も発注規模も大きくなる傾向にありましたから、組合として受ければ規模で受注できるという考え方だったようです。と言っても、それぞれが一匹狼的な人たちだったからお互いの交流もありませんでした。また、仕事を取られるといった小さな了見の人もいたでしょうから、3人が60社の一人ひとりを説得してまわったと聞いています。それはそれは大変だったようです。

3人の努力があったからでしょう、現在富山県木型工業協同組合は全国でも仲の良い、まとまった組合として高い評価を受けています。

上田氏によれば戦前にも「高岡木型工業小組合」が存在していたといい、大正元年創業のウエダには「高岡木型工業小組合 代表者 上田庄藏 上田木型製作所 高岡市金屋六六」の名刺が懸場帳に挟まれて残っている。県内の木型業界が他業界に先駆けて組合を設立したのもそうした伝統があったからかもしれない。「実態はわかりませんが、旦那衆のサロン的な集まりだったのではないでしょうか」と、上田氏は推測 している。

木型工業協同組合理事長として山口利秋氏の卓越技能章受章祝賀会でお祝いを述べる幸作社長 中部地区木型富山の木型御三家工業協議会第3回総会に出席

上段:木型工業協同組合理事長として山口利秋氏の卓越技能章受章祝賀会でお祝いを述べる幸作社長

下段:中部地区木型富山の木型御三家工業協議会第3回総会に出席(1969年5月)

幸作社長は、1989年3月までの14年の間同組合理事長の職にあって、この間、85年5月3日には「多年木型工業協同組合理事長として木型製作技術の向上と後継者の育成に貢献した」として高岡市市民功労賞を受賞し、88年10月2日には石川県粟津温泉で開催された日本木型工業会第2回会員大会の実行委員長を務め、全国から参集した会員を迎えて大会を成功裏に導いている。当時当社はすでに金型への移行を決定的にしていたが、幸作社長が大会実行委員長として述べた次の式辞には、当時の型業界の状況とともに幸作社長の木型に対する姿勢がにじみ出ている。

(前略)ご承知のように本会では2年に1度全国木型業者間の団結と融和を図るとともに、会員相互および関連業界、賛助会員等との情報交換の場として広く内外に本業会をPRし、木型製造業の反映と地位の向上につとめることを目的として全国各地、会場をかえて実施しております。今回は中部協議会が幹事役を仰せつかり、北陸大会ということで私が実行委員長の大役を命ぜられたわけでございます。……さて、今第2回大会の主眼とするところは、大きく変貌する日本経済の中にあって我々木型業者がどのように生きていくべきかを各地の現状報告をお聞きしながらその問題点の解決策を議論するところにあると思います。木型業界のおかれている環境は決して楽観できるものではありません。円高問題、ニックス(NICS)すなわち中進諸国の進出等、国際情勢の変化は直接的、間接的に本業界にも大きな影響を与えております。しかしながら、工業先進国日本における「型業界」とりわけ木型についてはその前進が強くなければ国際競争に勝てないと、各方面からも強い関心をいただいておりますし、また、その将来に期待もされております。我々はこのことを十分に念頭において日本産業発展に貢献するよう努力していかねばなりません。

永年望んでおりました木型製造業の地位確保については日本標準産業分類における単独分類、中小企業近代化促進法による近代化計画の発表などにより基盤はつくられました。この舞台をいかに上手く使い、いかに主役になっていくかはこれからの努力にかかっているはずです。皆さんお互いに頑張ろうではありませんか。従業員規模が小さいからといって消極的になることはありません。この形態こそ我々業者の適正規模として理想的とは思いませんか。これを上手に活用して技能や技術の研鑚に励み、また、経営意識の改革を行っていけば必ずや明るい将来がひらけるはずです。我々には図面から3次元の形状を誰よりも早く正確に作り出す技術があります。これを生かせばこわいものはありません。(後略)(日本木型工業界第2回会員大会における実行委員長としてのあいさつ)

ちなみに、当社は金型に移行した後も木型部門を残しており、2001年から02年までは浩史現社長が同組合の理事長を務めた。

高岡志貴野ライオンズクラブ結成式

高岡志貴野ライオンズクラブ結成式(1967年)

一方、78年に会長に就任した高岡志貴野ライオンズクラブは、67年10月1日に「惻隠のこころでウィ・サーブ」をクラブスローガンに高岡市内の経営者約50人で結成された国際的社会奉仕団体ライオンズクラブの支部の一つとして発足した(国際協会334−D地区第2R第1Z)。幸作社長は、チャーターメンバー(創立メンバー)として設立に尽力。その活躍で常に一目置かれる存在だった。会長の任期は1年間だが、幸作社長が会長を務めた78年6月には東京で第61回国際大会が開催され、高岡志貴野ライオンズクラブはガバナ大賞や社会福祉賞などを受賞した。

富山県木型工業協同組合

 

目的
1.組合員の取り扱う木材および副
資材の共同購買
2.組合員の生産上必要な木型、金
型の共同受注
3.組合員の事業に関する協定
4.組合員に対する事業資金の貸付
(手形の割引を含む)および組合員のためにするその借入
5.商工組合中央金庫富山支店、北
陸銀行、富山信用金庫その他組合員の取引する組合員の債務の保証またはこれらの金融機関の委任をうけてする組合員に対するその債権の取立て
6.組合員の経済的地位の改善のた
めにする団体協約の締結
7.組合員の事業に関する経営およ
び技術の改善向上または組合事業に関する知識の普及をはかるための教育および情報の提供
8.組合員の福利厚生に関する事業
9.失業保険法第5章の3の規定に
よる失業保険事務組合としての業務
10.前各号の事業に附帯する事業

 

富山の木型御三家

 

当時、高岡の木型業界では、上田木型、山口木型、松村木型製作所を木型御三家と呼んだ。金型企業は、現在でも従業員9人以下の規模が約80%と圧倒的だが、当時木型屋のほとんどが従業員4、5人だった。そのなかで、この3社は10人前後の従業員を抱えていたことからそう呼ばれていた。
この木型3社は、おのおの違う方向に進んで明暗を分けた。上田木型は上田木工所、株式会社ウエダと社名を改称、大型工作機械の鋳物調達に進んでいった。木型は地場でつくり、その木型を使って鋳物を商社に納める一方で、木工の額縁なども製造している。また、当社は、小松製作所の仕事に始まり、いち早く金型に転換、その後自動車のエンジン部品の低圧鋳造金型の分野に挑んでいく。
一方、山口木型は、木型組合の初代組合長を務めて業界を束ねていたが、1996年、株式会社日平トヤマ系列の大洋エンジニアリング株式会社に木型部門の営業権を譲った。

 

NICS

 

1980年代に使われた成長軌道に乗る国々・地域を指す新興工業経済国群(Newly Industorializing Countries)で、当時は韓国、台湾、香港、シンガポール(ASIAN NICS)などを指した。現在は、成長著しいブラジル(BRAZIL)、ロシア(RUSSIA)、インド(INDIA)、中国(CHINA)を指すBRICsが脚光を浴びている。

 

ライオンズクラブ

 

1917年(大正6)アメリカ合衆国で結成され、現在世界189カ国に137万を超える会員を擁する世界最大の国際的社会奉仕団体。日本では52年に東京クラブが結成され、富山県では56年4月に北陸で初めて、全国で27番目に富山ライオンズクラブが結成されたのが嚆矢。

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