わが国の工業用木型は、1863年(文久3)ごろに当時の大工や差物師、建具職が、幕府によってつくられた造船所で鋳造用木型を製作したのが始まりと言われている。1876年(明治9)には横須賀造船所に20人余りの木型工が従事したという記録が残っている。その後、産業革命により金属機械の発達や汽車の開通、鋳鉄管の普及など、鋳物の量産に伴って木型の需要は増大した。
工業用木型
木型には使用目的によって鋳造模型、金型加工用モデル(倣いモデル)、デザインモデル、試作品モデルがある。幸作が従事したのは鋳造用木型の製造。用途にあわせて2次元である図面から3次元の立体を造っていくのが木型の特徴である。近年はCAD/CAMシステムやNC工作機などが導入されているが、創業した当時は、すべてが熟練技能者の技によった。
工業製品の場合、木型木工は、まず精密な図面をよく「読む」ことで作業全体を予測する。鋳物製品のメーカーから木型工場に渡されるのは完成品の設計図だけであるが、設計図が10枚以上に及ぶことも珍しくない。図面には寸法は言うに及ばず、ボルトの位置なども精密に描き込まれている。これを読み込んで、最終的に製品の立体像を思い浮かべるのである。研削や穴あけ加工をして最終製品にもっていく前の半製品としてどのような形状の鋳鉄の塊を鋳物砂から取り出せばいいのか、そのためには鋳物砂にどのような形状を刻すことのできる木型が必要かを考える。
次に、材料の木に寸法を入れるが、この寸法は、経験と勘で、製品の寸法より「わずかに大きめ」に入れる。砂のくぼみに熔けた鋳鉄(湯)を流し込んで固めるわけだから、冷えると収縮する。その収縮率は、金属や大きさ、さらには鋳物工場によっても異なるから、それに応じた拡大率の「イモノ尺」を使って木型の図面を描くのである。中空部分があるものは主型のほかに中子型が必要であり、それらを位置決めする幅木も欠かせない。また肉厚も必要最小限になるようにしなければならない。そのうえで、常に仕上がりを想定しながら精密に削っていくのである。
数多く製品を造る場合には、木型は砂との摩擦による痛みが激しく耐久性がないことから、削りあがった木型を原型として、同一の金型が生産される。鋳物の要諦である熔けた金属の通り道である湯口や湯道の設計理論のほか、ときには大型木型を分解方式にする応用力も欠かせない。